「反省」させる事の意味とは-「反省させると犯罪者になります」
・反省させる事は必要なのか。
この興味深い主題に答えてくれるのが、岡本茂樹氏著の
「反省させると犯罪者になります」
です。
こんにちは、おっつーです。
タイトルからして、批判を買いそうですよね。
しかし内容はとても深いです。
著者の岡本茂樹さんは、立命館大学の教授であり、刑務所内で受刑者のカウンセラー等も行われている方です。そのため、本書はそのような経験から書かれています。
それでは、「ざっくり書評」に移ります。
本書の主題は、大まかに言うと
「悪いことをした人を反省させると、さらに悪い方向にいってしまう。そのため、反省させない方がいい。」
という感じになります。
①反省は何故ダメなのか。
②では、どうすれば改善されるのか。
①何故反省はダメなのか。
「悪いことをしたら反省させる。」
これは社会の常識であり、また一番有効な方法として考えられています。
反省文を書かせたり、謝らせたりして、二度と同じことをやらないことを決意させて、それで終了…これが、反省の一連の流れです。
しかし、大半の人は何故か再度同じことをやってしまいます。場合によっては、更にひどい状況なることもしばしば。
「反省」とは、見る人がいて初めて「反省」として認められます。
「反省」はマイナスとなる言葉からは成り立ちません。
「反省させる」という行為によって、本音を抑圧させ、実際に事を起こした原因(加害者の心情)を分からなくさせてしまう。
そのため「反省させる」行為は、ダメなのです。
②では、どうすれば改善されるのか。
本書では、被害者側からではなく、加害者側(本人)からの心情を考えさせ、それを吐露させ、 何故そのような行動に出たのかを探っていく手法が良いと述べられています。
「反省文」などの手法では、先ほども述べたように、第三者の目を気にして表面的な反省しかせず、根本的な解決にならないためです。
また「しつけ」を頑張りすぎると、結果的に犯罪者を増やしてしまうとも述べています。
「りっぱなしつけ」とは、自分の子どもを「しっかりした子ども」にすることです。
それは一般的に、「我慢できる」、「1人で頑張れる」、「弱音を吐かない」、「人に迷惑をかけない」等の能力を育てることです。
しかし、このような能力を育てることは、結果的に、人と繋がったり、人に頼ったりする事を阻害してしまいます。
そうすると、自分自身の感情をうちに溜め込んでしまい、先ほど述べた「反省」の例と同じ現象になってしまいます。
そのため、まず自分自身の感情を吐き出させ、何故悪事を働いてしまったのかを考える手順を取るべきだとされます。
私は筆者の考えに「大賛成」です。
正直にいって、私は子ども時代、よく先生に叱られました。自分が悪いこともありましたが、全くそうでない時も多々ありました。その度に謝ったり、反省文を書かされていたものです。社会人になっても、研修時に反省文を書かされました。(因みに、私の同期の3/4は反省文を書きました。)
しかし、根本的な解決になったかといえば、答えは「No」です。正直、その時自分が悪いと思っていませんでした笑。(今も思っていません笑)
今現在の日本教育ではいつか爆発すると思います。
どうするべきか。皆で考える時代が来だと思います。