良質な読書技術とは何か。−「本を読む本」
・本の読み方を詳しく知りたい。
・もっと構造的に読みたい
そのような人にオススメなのが
「本を読む本」
- 作者: J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン,外山滋比古,槇未知子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1997/10/09
- メディア: 文庫
- 購入: 66人 クリック: 447回
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読書初心者の方には少し文章の解読(内容は至極初心者に優しいですが。)が難しいと感じたため、読書中級者の方にオススメです。
本書の目的は
「読むに値する良書を、知的かつ積極的に読むための規則を述べたもの。」
とされているように、実践的な内容となっております。
どのようにすれば良い読者となれるか。
その事を、方法も含めて詳しく書かれています。
それで、ざっくり書評に移りたい思います。
この本を読んで、私自身がキー・ワードだと感じた点は
①積極的読書
②本を正しく批評する必要性
③シントピカル読者
の3点についてです。
①積極的読書の必要性
読むという行為は、受動的ではなく、むしろ積極的な行為です。
著者は、読書をキャッチボールにたとえてます。
「書き手の伝えたいと思っていることが、読み手のミットにすっぽりおさまったとき、初めてコミュニケーションが成立する。」p18
読み手にも「キャッチする」という行為が必要であり、その技術も必要となります。
では何故積極性も必要なのか。
本書の目的の一つに
「読むことによって理解を深める」
ための方法の提示があります。
「理解を深めるための読書は、どういう場合に必要となるのだろうか。それは、はじめから読み手と書き手の「理解の深さに差がある」場合である。」p20
「自分の理解を上まわる本を読みなおすことによって、読み手は理解を深めていくのである。」p20
「読み手が積極的に本にはたらきかけて「浅い理解からより深い理解へ」と、読み手自身を引き上げていく」必要がある。」 p19
このように、深い理解には積極的に本への接触が必要だということがわかります。
②本を正しく批評する必要性
私自身、大学在籍時、多くの本を読みました。しかし、人から、そこからなにが学べたのかと言われると、正確に答えることが出来ませんでした。そこに「批評」という振り返りがなかったためです。本書では「批評」のことを「著者に語り返すこと」と述べており、「読者の義務」だ、とも述べています。
そのような批評を行う上で、3つの規則が存在します。
1-「まず、〈この本がわかった〉と、ある程度、確実に言えること。そのうえで、〈賛成〉、〈反対〉、〈判断留保〉の態度を明らかにすること」p150
2-「反論は筋道を立ててすること、けんか腰はよくない」p153
3-「いかなる判断にも、必ずその根拠を示し、知識と単なる個人的な意見の区別を明らかにすること」p158
③シントピカル読者
シントピカル読者とは、比較読書法のことであり、一冊だけではなく、一つの主題について何冊もの本を相互に関連づけて読むことです。
著者はこれを「もっとも高度な読書レベル」だと定義しています。
このようなシントピカル読者をすることにより、一つのテーマを多角的に見て、様々な角度からの思考が可能となります。
これには多大な時間がかかり、かなり骨の折れる作業です。しかし、著者はこの「シントピカル読書」がもっとも報われる読書技術だと述べています。
読後…
読み終わって、筆者がやるべきだとする規則が非常に多いことが印象に残りました。
読書って、案外難しいと自分も感じます。小説でさえも、著者の伝えようとしていることがハッキリと理解できないことも多々ありますよね。シュールな作品は特に…
読書技術は大切だと感じますね!
開かれる建築
こんにちは、おっつーです。
今回読ませていただいたのは
「開かれる建築ー「民主化」の作法」
です。
著者は、現在東京大学大学院の教授である松村秀一さんです。
建築って不思議な魅力がありますよね。
人が住む場所で、効率性を追求しながらも、芸術的な要素も取り入れる必要があります。
一時期、建築士を目指そうかとも思いましたが、大学が文系だったため、諦めました…笑
さて、さっそく「ざっくり書評!」に入ります。
今回のキーワードは
①本書のテーマは?
②建築の民主化とは?
③建築の民主化実現のために何をすべきか。
①本書のテーマは?
題名で
「開かれる建築ー「民主化」の作法」
と書かれていますが…なんとなく、「建築は専門家のためではなく、もっと一般人のためにあるべきだ!」ということがイメージされます。
本書は、少し専門的な用語が多く、そのため建築の知識0の人には、民主化という主題が少しブレて読みづらく感じると思います(かくいう自分もそうなのですが…)。
ざっくり言いますと、
「民主化」という観点から建築の歴史を振り返り、そこから「(一般人に)開かれた建築」の実現のためのヒントを見つけ出し、その実現のために何をすればいいのかを明らかにすること」
が本書の目的です。
②建築の民主化とは?
さて、本題に入っていきたいと思います。
著者は、建築が民主化する過程に3つの世代が存在すると述べています。
1-第一世代の民主化
この世代は建築にとっての「近代」と言い換えることができます。
個人個人が健全な生活を送れるように、模範となる優れた建物を案出し、それを量産することにより、だれでも家に居住できることを目指したのが、この世代です。
要は、「建築の工業化」が成された時代ということでしょうか。
2-第二世代の民主化
第一世代の民主化の目的がある程度達成されると、次に第二世代の民主化が訪れます。
第二世代の民主化では、「人間のための工業化」が目指され、そのための選択の自由が必要
だとされます。
「人間のための工業化」とは、生産者側の事情に支配された工業化ではなく、現代的な工業化技術を有効に活用しながらも、住み手に主体性を置き、住み手と住まいの間の自然な関係を取り戻すこと、だと述べられています。
「人間のための工業化」は、市場をオープンにして、住まいを我々住み手にとって身近な単位に分解して工業化し、それを好き好きに選択して組み合わせるというシステムで実現できます。
3-第三世代の民主化
そして現在が、第三世代の民主化が行われている時代となります。
今までの二つの世代を通じて蓄積されてきた十分な量の建築と技術や知識を利用し、それぞれの人が、自身の生き方を豊かに展開する「場」を作ること、それが第三世代の目的です。
③建築の民主化実現のために何をすべきか
では、開かれた建築実現のためには、なにが必要なのか。
1、利用する空間資源の改良の必要性の判断やその方法自体の提供
2.既存の技術や知識の収集と編集
3.生活者が「場」創りの際に使いやすい材料、技術、ファイナンス、政策をまとめて提供
4.「場」を創ることがよりよく育つのに、どのような環境をどう整えることが有効なのか、を模索する。
以上が本書のざっくりとした内容となります。
本書のなかで、私が一番面白いと感じた箇所(本書のテーマとは少しずれますが…)は、日本の伝統的な「畳割の文化」が、日本人の建築の民主化を手伝っている、という主張です。
日本人は、部屋の大きさを畳の数で表現します。日本人からみたら突然ですが、外国人にとっては驚くべきことらしいです。
私たちは畳の数を言われただけで、部屋の大体のイメージがわかりますよね。
それこそが、建築が一般に開かれている証拠であり、民主化の一助となってくれました。
いま、多くの空き部屋がありますよね。
最近、不動産屋に行きましたが、空室自体は結構あるらしいです(人気の場所は少ないですが…)。
それを有効活用して、貧困対策に使用したり、地域活性化の一助としたりと、今後はそのような活動を行なっていく必要がありますね。
私は団地の空室を利用した商店街を提案します。団地で商店街を開けば、高齢者も簡単に利用できますし、何より高齢者の孤立化も防げると思います(勿論、騒音問題もありますが…)。
みなさんはどんな使用方法を思いつきますか。
それではまた!
下流老人-一億総老後崩壊の衝撃 ざっくり書評
こんにちは、おっつーです。
今回は「下流老人-一億総老後崩壊の衝撃」という、朝日出版から出されている新書を読ませていただきました。
この本は2016年の新書大賞で第5位に選ばれており、また2015年の流行語大賞にも「下流老人」としてノミネートされています。
正直、私は今まで貧困は「先天的な病気や障害などを理由としない限り、本人の努力や計画性の欠如が原因なのではないか??」という考えを持っていました。(この本を読んだ後も少しはもっていますが…)
そんな意識を変えなければ…という甘い(?)考えから本書を手にしました。
では、さっそく「ざっくり書評」に入っていきたいと思います!
今回のキーワードは、
①下流老人とは何か。
②下流老人が増えることによる影響は何か。
③下流老人にならないために、下流老人を増やさないために何を行う必要があるのか。
です。
①下流老人とは何か。
著者である藤田さんは下流老人を
「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」
と定めています。
具体的には
1-収入が著しく少「ない」
2-十分な貯蓄が「ない」
3-頼れる人間がい「ない」
という以上の三つの特徴を持つ高齢者だと定義しています。(ない、にかっこ付けしているのは、藤田さんが「ない」という言葉を強調しているためです。)
一つずつ見ていきましょう。
1-収入が著しく少「ない」について
世帯収入が著しく低く、普通の暮らしが営めないという事です。
2-十分な貯蓄が「ない」
著者は本書で「平成26年総務省の「家計調査報告」によれば、高齢期の2人暮らしの場合の一か月の生活費平均は、社会保険料などをすべて込みで約27万円。」
「貯蓄額が300万円では約4年で底をつくことになる。仮に1000万円あっても、14年弱しかもたず、最終的に貧困に陥る可能性があるのだ。」と述べています。
また内閣府の「平成26年版高齢化社会白書」によれば、世帯の高齢期への経済的なそなえについて足りていると考える人たちは、4割もいきません。
3-頼れる人間がい「ない」、です。
これは想像しやすいと思いますが、要は「社会的孤立の状態」を指します。
友達も家族もいない、一人っきりの状態…いやですね。
②下流老人が増えることによる影響は何か。
下流老人が増えることによって何が問題なのか。
「私は下流じゃないし、今後も下流にはなりません!」
そういう問題ではないと、筆者は言っています。
では、具体的にどのような問題があるのでしょうか。
1-親世代と子ども世代が共倒れする
2-価値観の崩壊
3-若者世代の消費の低迷
4-少子化を加速させる
身内の誰かが、下流老人になったと仮定しましょう(この時点で「頼れる人がいない」状況ではないと思いますが…笑)。
その子どもは、親を扶養しなければなりません。しかし、親の収入はあてになりません。それに加えて、親の病気の療養費や自分の子どもの教育費なども出費しなければなりません。
そうなると、更に生活は厳しくなっていきます。そうなるとその先は、「親世代と子ども世代が共倒れする」という状況が、起こります。
そのような事態になると、「高齢者が邪魔だ!」という考えになる人も出てきます。そうなると、どうでしょうか。高齢者が、尊敬されなくなってしまいます。すると、みんなが「健康が一番」「長生きは素晴らしい」と考えていたものが壊れる、要は「価値観の崩壊」が起こります。
そのような高齢者の姿を見て、若者はどのように思うのでしょうか。「ああはなりたくない!」と思うでしょう。そのように思った若者は、将来のために貯蓄するようになります。「若者世代の消費の低迷」が起こり、ひいては日本経済の発展を阻害する要因にもなり得るのです。
すると若者は、貯蓄と同時にそれ以外のリスクも減らしたいと考えます。そのため、多大なお金がかかる子どもは作らない、という状況が起こります。その結果が「少子化を加速させる」ことになります。
③下流老人にならないために、下流老人を増やさないために何を行う必要があるのか。
個人としては
2-今のうちから病気や介護に備える
3-何よりもまずプライドを捨てる
4-いくら貯めるべきか知っておく
5-地域のNPO活動にもコミットしておく
6-「受援力」を身につけておく
ということを行なっておく必要があります。
まず生活保護自体をしっていなくては話になりません。そのため、生活保護費を受給するまでの基本的な流れと受給要件等、それと同時に社会保障を受けるのは「権利」だということも頭に入れておく必要があります。
また、医療制度についても、「無料低額診療事業」などの医療費の支払いが困難な人のための制度も調べておかなければならない。
しかし、そのような制度があっても本人が受ける気がないと意味がありません。生活保護は正当な権利であり、何も恥ずかしいことではないという意識を持ち、支援を受けやすい性格の人間にならなければなりません。
それに加えて、老後に必要な貯金額のシュミレーションを行い、孤立化を防ぐために地域のNPO活動に参加したりなど「プライベート・コミュニティー」を充実させておく必要もあります。
以上が個人としては行うべき事です。
では、国として、地方自治体としてはどのようなことを行う必要が、あるのでしょうか。
1-貧困対策基本法の法制化をし、国民の防貧や救貧対策を国家戦略として強化する
2-生活保護制度をわかりやすく、受けやすく
3-生活保護を保険化する(提案)
4-生活の一部をまかなうものとして、生活保護を分解する(提案)
5-家賃補助制度の導入
6-若者の貧困問題に介入
下流老人問題が今後も進行する理由の一つに、若年層や子どもの貧困があります。高齢者になる前から貧困なのですから、下流老人になってしまうのは当然ですね。そのためにも、国家をあげて貧困に取り組まなくてはなりません。
下流老人になってしまった人に対しても対策を取らなくてはなりません。生活保護という制度を受けやすく尚且つわかりやすくする必要があります。日本人は生活保護に対して強い恥辱感があり、また生活保護費ならびにそれに関係する他の制度もわかりづらい、という問題があります。下流老人となってしまった人のためにも、もっと受けやすく、わかりやすいものにしなくてはなりません。
また、新しい試みとして「生活保護の保険化」、「生活保護制度の分解をし、社会手当化する」ことも行うべきです。
生活保護を保険化することにより、年金や介護保険と同じように、「保険料をはらったのだからサービスを受けて当然」という意識を持ちやすくなります。
また多くの下流老人は、生活保護のうち、一部でも別枠で補助してほしい、と考えている人が多い現状です。そのため、生活保護制度を分解し、より受給しやすいように「社会手当化」していくことも、改善に繋がります。
以上が本書のざっくりとした要約です。
この本で述べられている「申請主義の脱却」については私は激しく同意します。というのも、生活保護の不正受給が非常に問題になっているからです。
厚生労働省によると、平成26年度の不正受給件数は、4万3230件になるそうです。
……客観的に、この数字を見ただけで判断すると、生活保護をバッシングしたくなる気持ちもわかります涙。
申請主義を脱却することにより、お役所の方からアクションをかけることができるので、申請者が暴力団などと繋がる前に申請させることができると思います。
また、私がこの本で触れてほしかったのが「生活保護の不適正な利用方法」についてです。
一昔前に、一部の生活保護受給者が受給金をパチンコにつぎ込んでいる、というニュースが話題になりました。
お金の使い道は、被保護者の自由ですので、パチンコは禁止されていません。(条例で禁止している地方自治体も増えていますが。)
しかし、著者からすれば、受給するのが「権利」だとすれば、使い道を自由に決めるのも「権利」だとされてしまうのではないか、とも思います。
適正な利用を促す制度を作ったり、「適正利用してるぞ!」という広告を行わない限り、このような側面から生活保護に対して疑いを持つ人は、意識を変え辛いと思います。
中々意識というものは変えずらいと思います。正直、私も実際に現場を見てみないと変わらないと思います。皆さんはどうでしょうか。
それではまた!
マーチ博士の四人の息子
記念すべき第一回目の投稿です。
今回紹介するのは、「ブリジット・オベール/マーチ博士の四人の息子」です。
元旦にも関わらず、書店で何かおもしろそうな本ないかなー、と探していたところ出会いました。笑
暇だったんです、すいません笑
帯のあおりに惹かれ購入。そこには「表紙からすでに仕組まれたトリック。」こちらがその表紙です。
- 作者: ブリジットオベール,Brigitte Aubert,堀茂樹,藤本優子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1997/02
- メディア: 文庫
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たしかになにか意味ありげな表紙笑
赤いテーブルに四人が肘をついている。何かこちらをうかがっている様子。これは期待できる!
しかしこの本を読んで第一の感想は…期待させすぎ!笑ということでした。。
作者のブリジット・オベールはフランス生まれで、「悪童日記」の作者であるアゴタ・クリストフも注目している作家さんです。
本作品は彼女のデビュー作であり、以降ホラーやハードボイルドなど様々なジャンルの作品に挑戦しています。
この本を手に取るまで彼女の名前は知らなかったので、お恥ずかしながら、彼女の作品はもちろん初めてです。笑
内容的には、「家政婦は見た!」をイメージしてもらえば十分かと思います。
マーチ家のメイドであるジニー・モーガンが、ある日日記を発見します。
その内容は変態的であり、なおかつ書き手自身が殺人者であることをその日記内で告白しています。
書き手はマーチ博士の四人の息子の内のだれか。
しかし、書き手は自分が誰なのかを明示していません。
ジニーは誰なのかを探ろうとしますが、犯人である書き手に気づかれ、やがて殺害の対象となり…
おおまかな内容は以上です。物語はジニーと、犯人である殺害者の日記形式の対話で進んでいきます。
それでは「ざっくり書評!」に入ります。
この本を読んで感じた点は三つあります。
まず一つにタイトルが内容に生かされてないな~と感じました。
「マーチ博士の四人の息子」
なんだか惹かれちゃいますよね笑
なにかサイエンス要素があるのか?四人の息子が複雑にからみあい、巧妙なトリックをみせてくれるのか?
期待させてくれます…が!!!
博士要素もなければ、正直に言って四人の息子も個性はそれほどありません(笑)
二つ目は…内容がありきたりで、犯人がわかりやすい!ということです。
ミステリー好きの人には、犯人が中盤にはわかってしまうのではないかと思います。
マーチ博士には息子はかつて5人いた、そして殺人者の日記で自分は存在しないと明記…
この時点でカンの良い人は5人目の息子が生きており、そいつが犯人では…と考えると思います。
(正式に言えば家族全員が共犯者なので、皆犯人と言えるのですが…笑)
そして最後にこれが一番感じたことなのですが…物語の流れが冗長!ということです。
先ほども述べたように、話はジミーと犯人の対話的な日記形式で進みます。
そこはいいのですが…基本的に話の転換が少ないです。
大体が犯人の精神異常者ぶりの強調に終始しているなー、と感じました。
そのため、読む人によっては途中で飽きてしまい、最後まで見ないという方もいると思います。
四人の息子それぞれが重要な役割を果たすわけでもなく、だからといって複雑に絡み合うわけでもない。
正直、最後らへんは「早く終わらないかなー…」と思ってました。(んじゃ読むな!という話なのですが…)
それでは、また!